金融そもそも講座

マーケットへの影響

第340回 メインビジュアル

前回の私の文章をお読みになった方は、筆者の今回の原稿がある程度予想できたはずだ。それは

  • ①ディスインフレに慣れた頭を切り替えるにはちょっと時間がかかるが、ベースエネルギー価格の高原状態は、世界的なインフレ率の高水準持続を予感させる
  • ②結果、金利水準は今まで想定されていた以上に世界的に高止まりし、時には人々の想像を超えて大きく上昇したり、その後は大きく低下したりする可能性がある。レベルとして高い状態が続く

ということである。この状態をミネアポリス連銀のカシュカリ総裁は「“high-pressure equilibrium”(高圧力均衡)」と呼んでいる。それは端的に言えば「高いインフレ率と金利引き上げニーズの綱引き(均衡)が生ずる世界」ということで、この件については後述したい。

この原稿を書いている時点で私が興味深いと思ったことは、バイデン大統領がUAW(全米自動車労組)のストに関連したピケ現場に赴いて、UAWが要求している「40%の賃上げ」への支持を表明したこと。現職大統領がピケ現場を訪問したのは史上初ということもだが、40%という数字にも驚く。

FRB(米連邦準備理事会)のインフレ目標は2%だ。それを上回る今の米国のインフレ率は、原油価格の高水準(前回指摘したサウジとロシアの協調の結果)に加えて、「高い賃金の伸び」にある。来年大統領選挙を控えたバイデンは、UAWと隊列を組んだ。大幅賃上げにコミットしたのだ。共和党の有力候補であるトランプ氏も同じくUAW支持を表明した。日本でも、岸田首相が連合の大会に出席予定で、賃上げを支援する見込み。政治はどの国でもインフレ上昇の潜在要因となる賃上げに支持を与えている。

high-pressure equilibrium

やや古いかもしれないが、筆者がこの言葉を聞いて想起したのはポール・ボルカーやアラン・グリーンスパンがFRB議長だった長い期間(1979〜2006)における何回かの時期だ。前者の時代を含む1970年代には2回の石油ショックがあり、とてつもない高インフレが米国や世界を襲った。グリーンスパンの任期(1987〜2006)は就任数カ月後のブラック・マンデーで始まって、数々の危機やインフレ高騰期もあって波乱含みだった。FRBにとっては高いプレッシャーの中で雇用維持と物価の安定の均衡を探る時期だった。

もちろんその後も米国の金融政策には常に高いプレッシャーがかかった。それは日本も同じだ。時にはデフレとの戦いがあり、時には今のように比較的高いインフレとの戦いもあった。しかし全体としては「2%のインフレ目標」を念頭に置いたディスインフレ下での政策運営の時期だ。その後のバーナンキ、イエレン、そして現在のパウエル議長までの期間は、基本的には世界経済がグローバル化の進展(最適地生産による価格引き下げ圧力の増大)によって、ディスインフレが広がった世界だった。「Goldilocks」というやや温い単語がしばしば使われた。

今の世界は、過去20年ほど続いたグローバル化進展の世界とはかなり違う。世界経済はかなりセグメント化、ブロック化されている。中国は力の誇示で今の「日本の海産物」に対するのと同じように、オーストラリアや台湾などに対して各種製品の禁輸措置を繰り返し発動している。米国は中国に対して半導体や同製造装置で禁輸・制限措置を採用している。「世界の工場」だった中国からは、同国国内での政治圧力(スパイ活動防止名目、共同富裕をスローガンにした民間企業たたき)故に各国の工場が賃金の高い自国に逃げ出しつつある。

むろん、グローバル化が進展する前の世界の再現ではない。しかし「より安い労働賃金」を求めたグローバル化の世界は終わった。

しつこいインフレ→金利の高い水準持続

最近盛んに「しつこいインフレ」という言葉が使われるようになった。当然だ。前回書いたようにベースエネルギーである石油価格の高原状態が続くことが確実な中での、労働賃金への上方バイアスだ。日本ほど企業間競争が激しくない一部の国では「価格引き上げを躊躇(ちゅうちょ)しない風潮」が企業間に出てきている。新型コロナウイルス禍明けというやや異常な経済状態も、値上げを通りやすくしている。

「しつこいインフレ」は数字にも出ている。例えば米国の物価上昇率は22年6月に9%を上回る水準に達したあとは順調に下がって今年6月には3%の前半まで来た。しかしその後は再び上昇気配を示している。今後の見通しについてもFRBは直近のFOMCで前回予想よりは今年の残る期間と来年のインフレ見通しを引き上げた。

インフレがしつこいということは、予想以上に高い金利が続くと言うことだ。ディスインフレに慣れた頭で「インフレはすぐに収まる」と考える向きはまだ多いかもしれないが、客観的に見ればインフレはすぐに収まらない。欧米の金利は今までの想定よりは高い状態が続くと考えるのが自然だ。

ミネアポリス連銀のカシュカリ総裁は9月の下旬に盛んに新聞やテレビに出演したが、その中で興味深いことを言っている。「住宅や自動車など、今までだったら金利上昇に敏感に反応して利上げによって打撃を受けた部門の活動が落ちない」というのだ。金利感応度が落ちたと言っている。その理由の一つはコロナ禍後という特殊要因があると思う。消費もそうだ。コロナ期に我慢していた分が今出ているというわけだ。

物価高を理由に大統領が先頭に立ってUAWの賃上げが受け入れられるようなことになれば、「コストプッシュ・インフレ」は続く。それこそ「high-pressure」といえる状況だ。

one more rate hike this year ?

「インフレがしつこい」という判断の強まりの中、直近のFOMC(米連邦公開市場委員会)(今回は政策金利を据え置き)では「年内にもう一度0.25%の利上げが必要」という意見が大勢を占めた。16人の参加者のうち9人が「年内再利上げの必要あり」だった。来年についても、「来年は利下げ」という確信を持てる参加者が減った。

9月後半からのニューヨークの株式市場が懸念しているのは、まさにこの点だ。「どうもインフレがしつこそうだ。期待したようには米国の金利は下がらない」「金利(利回り)は、考えていた以上に株価には手ごわい競争相手で居続けるだろう」というもの。今のニューヨーク市場は、「high-pressure equilibrium」な世界への対処法が見付けられないでいる。

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日本が置かれている状況は、米国や欧州とは違う。日本の中央銀行は政策金利をマイナスにしたままで、長期金利の目標もゼロ近傍だ。長短金利操作(イールドカーブ・コントロール、YCC)の上限をそれまでの2倍の1%にしただけ。しかし日本も同じベースエネルギーで経済を回していることを考えれば、「継続的なインフレ圧力」にいずれさらされる状況は同じ。

日本でも政府が賃上げを経済政策の柱にしているし、最近の日銀は「物価の番人」から「賃金の番人」に役割を切り替えた印象もする。超緩和政策の解除条件を「持続的な賃上げ」を大きな柱にし、それを政策策定・変更に当たって注視するとしているからだ。

日銀の超緩和政策の副産物が円安だ。日本の預金金利が微細なのに対して、日本の銀行の中にも5%台に軽く乗るドル預金金利を提示する銀行も増えている。ネット銀行ばかりでなく、大手のメガも含まれる。為替手数料や税金などあっても、この金利は魅力だ。円を取り巻くファンダメンタルズは日本の当局が言うよりははるかに円安バイアスの中にある。

次回は、「high-pressure equilibriumの中での株価の動き」に関して書きたい。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から2週間程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。