1. 金融そもそも講座

第142回「各国経済の強さと弱さ PART18(欧州編)」英国 : 柔軟な発想 / 投資を歓迎する国

EUサイドの条件をギリシャ政府・議会がほぼ丸のみすることで当面の危機を脱したこともあり、今回は「英国経済の強さと弱さ」に話を戻そう。しかし、VAT(付加価値税)の大幅引き上げなどにより今年のギリシャ経済は4%近いマイナス成長が予測される。また、これまで連載の中で指摘した通り、主だった産業が観光以外にないことから、ギリシャを巡る危機が数年後に再燃するのは目に見えている。同国が再生するためには、重くのしかかる債務の一部切り捨て・再編と同時に、新たな産業の育成(成長戦略)が必須だが、その動きは見えてこない。そうした状況が続く限り、今後もギリシャは欧州の「台風の目」であり続けるだろう。

米国の次は?

読者の皆さんは、「年内の利上げが妥当」と繰り返し述べるFRB(米連邦準備理事会)のイエレン議長率いる米国に次いで、利上げに踏み切る可能性が一番ある先進国はどこだと思われるだろう。実は英国である。イングランド銀行のカーニー総裁自身が7月中旬の議会で「利上げの時期は近い」と述べ、その後の講演でも同じ趣旨のことを言っている。

その結果はポンド相場の高騰だ。ポンドは2007年に1ポンド=260円に接近する対円高値を付けた後、リーマン・ショック後の円高局面で120円前後に落ちていた。すさまじい下落だった。しかし、その後は上昇して最近は190円台を維持しており、200円に届きそうな勢いだ。

07年のポンド高のピークには「英国の地下鉄の初乗り(4ポンド)は1000円」といわれ、その割高ぶりが日本でも話題になった。そこまでいかなくとも、1ポンド=200円となれば「地下鉄の初乗りが800円」(東京メトロの初乗り切符は170円)という事態になる。弱い円を使っての英国旅行がまたまた苦しい時代になりつつあるのだ。

日本ではあまり話題に上らないが、英国で利上げ観測が出て、それに素直に呼応してポンド相場が上昇しているのは、景気が強いからである。14年の英国のGDP伸び率は2.55%で、主要先進国の中では米国をも抜いて一番高かった。15年についても「2.75%近辺になる可能性がある」とみられている。

注目されるのは、英国での金利操作で大きな目安となる賃金の伸びの高さ。英政府統計局によると、同国の平均賃金上昇率(3カ月平均)は3月の2.3%に対して4月は2.7%、5月は3.2%と加速している。上昇率が2.5%を超えると「利上げ機運が高まる」との見方もある。場合によっては国内で利上げを巡る議論が絶えない米国よりも早い時期に利上げとなる可能性もあるのだ。

柔軟な発想

ではなぜ英国は我々日本人があまり気付かない間に、米国と利上げ先行を争うほどに景気が良くなったのか。それは世界的な景気悪化を招いたリーマン・ショック後の経済政策が実に巧みだったことに加えて、産業革命を先導した国として「語るに足る産業を残していた」ことが大きいと思う。リーマン・ショック直後には「ギリシャの次は英国」といわれたこともあった。それは英国の対外債務が巨額だったことも、ポンドの下げがきつかったこともある。しかし、そうはならなかった。

実はリーマン・ショック後に英国は、米国を上回るスピードで金融政策を“超”緩和にかじ取りした。イングランド銀行の政策金利は08年の10月から09年3月まで毎月引き下げられ、わずか半年でそれまでの5%水準から0.5%水準まで引き下げられた。詳しく言うとショックのあった08年9月の政策金利は5.0%、それを翌10月には早速4.5%に下げ、その後は11月3%、12月2%、09年1月1.5%、2月1.0%、そして3月に0.5%としたのだ。そのペースは目を見張るものである。今回改めて調べ直して驚愕した。リーマン・ショックの持つ意味合いを理解し、こんなに素早く自らの判断で動いた中央銀行はイングランド銀行の他にないのだ。

ポンドの下落は、こうした急激な政策金利引き下げの当然の結果だった。当時日本では、「1ポンドの円と1ドルの円が等価になる日はいつか」といった議論をした。ポンドの下げが急激だったから誰もがその可能性を考えた。しかし、そのポンド急落が英国の製造業を生き返らせた。

英国の新たな製造業のホープとして、以前ダイソンを紹介したが(欧州編シリーズPART15)、実は英国には消費者の目に触れるものとしては高級乗用車(例えそれがドイツ資本の傘下にあろうとも)、目に触れないものとしては航空機エンジンなどを中核に置く民間・軍用航空宇宙や製薬(世界で最も利用されている薬剤の15%を生産)など、世界的に競争力のある産業がある。それらがよみがえったのである。

加えてイングランド銀行は積極的な資産購入を行って潤沢な資金を供給し、家計・企業の先行きに対する信頼感を回復することに成功した。また13 年には建設部門に対する支援、対中小企業を中心とした信用条件の緩和を行った。それによって住宅市場は活性化して住宅価格が上昇、資産効果による個人消費の増大などが見られた。我々は英国というと「牢固(ろうこ)」「動かない」といったイメージを持ちがちだが、実際には柔軟な発想に基づき、経済活性化のための措置を次々と講じてきたのだ。

キャメロン首相が今年の総選挙で労働党顔負けに労働者寄りの発言をして、それに沿った政策を打ち出したことは既に説明した。またG7の参加国として初めて中国版国際金融機関のAIIB(アジアインフラ投資銀行)への参加を打ち出したことも紹介した。つまり、英国とは我々が想像している以上に柔軟な発想を持つ国なのだ。

投資を歓迎する国

英国経済には弱点はないのだろうか。むろんある。まず急ピッチな金融緩和の後遺症としての「高いレベルに達する家計債務」だ。これは今後内需を抑制する危険性がある。具体的には、英国の家計の可処分所得に対する債務は 130%近くに達しているといわれ、これは米国に次いで G7諸国では最も高いレベルに達している。

ダイソン以外に一般消費者向けの製品がないことも指摘できる。経済の生産性も相対的には低い。これまで「英国にはシティがある」といわれ、金融の分野で大きな雇用を生み出してきた。しかしどう好意的に見ても、国際金融においてシティの地位がかつてより上がった事実はない。ネット経由の各種金融サービスが拡充してきており、英国は金融に加えて新たな産業の育成が必要になる。伝統的な階級社会の名残や、移民問題の深刻化なども課題だ。労働コストの上昇も、長い目で見ると経済成長にとっての阻害要因になる危険性がある。

もっとも英国経済には、我々が忘れがちな潜在力もある。それは米国と同じく法治が徹底した社会であり、実は開放的で、大陸の欧州諸国より外国の投資家を歓迎する風土があることだ。欧州に投資先を求める米国企業や大陸諸国に足掛かりが欲しいインド企業は、「まず英国に入って、英国をベースに」と考える。つまり欧州の入り口国としての地位が高いのだ。世界銀行によると、ビジネスがやりやすい国・地域のランキングで英国は世界5位につけている。

米国やドイツ経済の影に隠れてあまり目立たない。しかしよく見ると牢固なイメージとは対照的に、時に「極めて柔軟な発想をする国」としての英国の魅力は続きそうだ。(

ご注意:本コラムは、上記掲載日から1ヵ月程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。

バックナンバー2015年へ戻る

目次へ戻る